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How do you like 18トリソミー?

妊娠8ヶ月で18トリソミーと診断されました。同じ境遇の人、18トリソミーを知らない人、との交流の場に。そんなブログです。

花火

妻が昨日
花火の事をブログに書いてくれました。
その中で
「私を少しでも外に連れ出したい」から
僕が誘った、
とありました。
確かにそういう気持ちも
あったと思いますが、
本当のところの気持ちを
横で寝ている妻に語るのではなく、
ブログで伝えたいと思います。

本当のところの気持ちは
「家族3人で花火を見たかったから」
です。
もし、
Jrが無事に生まれていたら、
きっと今年の花火は見れなかったと思います。
だけど、
今年は見る事ができる状態でした。
それはJrが、
「花火見ようよ」と
僕らに伝えてくれたんだと思いました。
だから誘いました。

妻も同じだったみたいですが、
花火を見ている間、
僕もJrを感じていました。
感じてたというよりも、
僕はJrと一緒に見ていました。
信じられないという人も
いると思います。
でも一緒にみてたんですよね。

この事は
誰にも否定できません。

お盆という行事が
亡くなった人を
祀り、感じ、供養する
ものだとしたら、
今年僕らが
「花火を見た事」は
同じ事です。
なぜなら
花火をみながら、
Jrを感じ、
一緒に楽しみ、
心を安らかにする事が
できたからです。

僕の街の花火は、
夏に必ずあがります。
規模は大きくないけれど、
街の中であがる花火、
僕は大好きです。
その花火を家族で見る事が
僕らの「お盆の形」です。

来年もいこう!。
20120730トシ

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  1. 2012/07/30(月) 23:42:23|
  2. 供養
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スマイルズ、花火

今はただ、時間が流れるままに生きていながらも
心の中で、毎日一方的に息子に話しかけている私は
どんなにさみしくても、辛くても
頑張って生きていくよって息子と約束をした。

体がだんだん回復してきてから、少しずつ動ける
ようになってきて、友達にも何人か会い、
話したりもして、こうやって少しずつ以前の
生活に戻っていくんだと感じている。
ただ以前と違う事は、私達には息子がいるんだっ
ていう事。
目に見えなかったとしても、戸籍に記録に残ら
なかったとしても、私達はこの子の親なんだ。
すごい事だなと感じてる。
だからいつも、息子とお話しして親子の気持ちを
味わってるつもりでいる。
だから毎日を一緒に進んでいくんだ。

私は土曜日から、スマイルズのレッスンに戻った
戻れるのか? 不安はあったけれど、
子供たちは前と変わらない笑顔で、
お母さん方はあたたかく、私を迎えてくれた。
みんなの元へ戻ってこれてよかった。
みんなの笑顔に会えてよかった。
あるお母さんが、会ってすぐに私の手を握りしめ
てくれた。
ずっと心配してくれていて、想っていてくれた事
言葉以上に心が伝わってきた。
私達のために泣いてくれるその気持ちが本当に
あたたかいと感じた。
そして、つい最近富士山へ登ってきたと教えて
くれた。
日本では富士山が、お空に一番近い場所だからと
言って、いろんな事お願いしてきたと
言ってくれた。
きっと息子と話しをしてくれたんだなと思って
すごく感動して、涙をこらえました。
久しぶりのレッスンも、みんなと一緒にダンスが
できる時間を、前よりももっと大切に思えるよう
に、なった気がします。

そして、この日はお祭りがあって、
夜は街に花火があがった。
少し前から夫に
この日の花火を見に行こうと
誘われていた。
以前は外にも出たくなくて、どんな気持ちで
花火をみたらいいのかわからず、見に行きたい
気持ちになれなかったけど、
夫の「今年は花火をゆっくり見たい」と
言っていた気持ちと、
私を少しでも外に連れ出したいという
気持ちがなんとなくわかっていたので、
花火に連れて行ってもらう事にした。
本当にゆっくり、じっくり見れる場所を予約して
くれて、その場所で私達は空にあがる花火を見た。
いつ何をしていてもさみしい気持ちはやってくる
から、花火を見ていても
やっぱりいろんな事思い出してさみしく
なってしまったけれど、それでもこうやって
何かをしている時は、いつだって息子は私達の
そばにきっといるって信じてる。
そばにいて、一緒にキレイな花火を見ている。
私の目を通して一緒にキレイな花火を見ている。
ってたくさん思った。
そうやって花火の間ずーっと息子を感じる事が
できて、3人で見にこれたんだって考えたら
嬉しかった。
花火は本当にキレイだったし、
さみしくても嬉しい気持ちになれたから
見に来てよかったって思いました。
連れてってくれてありがとう。
         
とてもいい一日になりました。
20120729み

  1. 2012/07/29(日) 23:24:02|
  2. 母ベルメール
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優しい友達へ・・・

先日来ていただいた友達が
こんな優しい言葉を妻に言ってくれました。
「本当はすぐ来たかったんだけど、
 時間がつくれなくて・・・。
 それと、
 自分の子供を連れて行く事に
 抵抗を感じてしまった。
 もし自分が同じ立場だったら、
 すごく悲しくなってしまう気がして・・・」
その日は、
実家に子供を預けて、
1人で手を合わせに来てくれました。

私たちの周りには、
そういう優しい友達が沢山います。

本音は
自分も妻も、
街で赤ちゃんをみれば涙が出そうになりますし、
友達の子供の成長を見ればJrと重ねてしまいます。
「子供」の姿を見るだけで悲しくなります。

でもその悲しい気持ち以上に、
赤ちゃんの誕生や、
子供の成長を嬉しく思える事ができます。
それは、
「子供が生きていくという事がいかに奇跡であるか」
をJrに教えてもらったからです。

Jrの事があってから、
今まで全く関心が無かった
芸能人の出産話さえも
「よかったねー」と思えるように
なりました。

だからこれからも
友達のお子さん達、
もちろん親戚のお子さん達には
会いたいです。
メールや手紙、mixiやブログなどで
今まで以上に、
成長を感じたいです。
できれば
全員家に遊びに来てもらい
Jrに会って欲しいです。

そして、
Jrと友達になってくれたら
最高です。

20120728トシ



  1. 2012/07/29(日) 12:13:25|
  2. ありがとうをここに・・・
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昨日、今日、そして明日へ・・・

夕方、友達が訪ねてきてくれた。
息子のお骨に手を合わせてくれた。
私の事を本当に心配してくれていて、
私に本を贈ってくれた。
私はまだ、ほとんど家にこもりきりだけど、
時々、スーパーなどには行けるようになってきた
昨日も、スーパーで偶然友達に会って、
久しぶりに少し話しをすることができた。
私をすごく心配してくれていて、
スーパーで2人でちょっと泣いてしまった。
こんなに想ってくれていてありがたかった。
「頑張るよ」って約束した。

今日来てくれた友達に
「私はずっと友達みんなに、たくさん心配ばかり
かけてしまっているよ」と言うと、
友達は「心配かけてもいいのが友達だよ」と
言ってくれた。
ありがたかった。
なかなか外に出れなかったり、毎日泣いてばかり
いる事や、辛い気持ちをわかってくれていて、
なんて優しい人だろうと感じた。

それに、今までに私を励ましてくれた人達
みんなに私は本当に感謝しています。
心のこもった言葉をたくさんかけてもらった。
たくさんの人達が悲しみを
和らげてくれています。
優しい気持ちを本当にありがとうございます。

昨日も今日も、こうやって私の人生は動いて
いってるんだな、
明日へ続いていくんだなと、感じています。
20120725み


DSCN3738.jpg
  1. 2012/07/25(水) 22:04:08|
  2. ありがとうをここに・・・
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昔と今は違う

昨日、久しぶりに親友のお母さんに会いました。
その方に自分は中学生の時から
お世話になっています。
そんなおばさんに、
こんな言葉をいただきました。

「大変だったね、
 病気の話を聞いた時、すぐ電話しようと思ったんだけど
 産まれてからにしようと思ってて。
 電話できなくてごめんね。 
 おばさんの知る昔は、
 今回のような事、
 家族だけで乗り越える人が
 ほとんどだったんだよね。
 でも今は違うよ。
 障害のある人とか、弱い人を
 みんなで支える世の中だから、
 これからも
 何も恐れる事はないんだよ。
 だからガンバんな!。」

昔と今を比べると
いろいろ便利なモノができた事に
ありがたみを感じていましたが、
そんな事どうでもよくて、
周りの目を気にして、
家族や夫婦だけで苦しみを抱えていた事が、
「そうじゃないよ!みんなで支えよう」
という世の中に変わっている事に、
改めて感謝したいと思いました。

20120723トシ
  1. 2012/07/23(月) 23:48:05|
  2. ベル夫の巣
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死産、水子の供養

死産、水子の供養はとても難しいと思います。
特に母親は、
悲しみの中にいて、体も動かせない、
何も考えられず、動く事もできません。
そんな時、
支えてあげなければいけないのは、
夫はもちろん、
周りの人だと思います。
どうか、周りの人の意見だけで、
今までの「文化」とか「きまり」だけで、
供養をしないで欲しい。
赤ちゃんと一緒に
一番頑張った、お母さんの意見を聞いて欲しい。
お母さんが何も言えないなら、
お母さんがどう思っているかを考えて欲しい。

自分の子供の死と直面し
初めて真剣に、
供養というものに向き合いました。
考えました。
自分たちは今、
心が一番安らぐ「かたち」で
供養をする事ができています。
それは、自分たちだけでつくった「かたち」ではなく
周りの人の優しさや支えがあったからこそです。

もし、死産を経験してしまった人が、
その赤ちゃんに対して
納得できない供養をする事になってしまったとしたら・・・、
そんな事ほど悲しい事はありません。

供養は愛の「かたち」です。
よって人それぞれです。

20120722トシ
  1. 2012/07/22(日) 23:27:30|
  2. 供養
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20120610 み

6月10日 日曜日
朝が来た。 
隣に箱に入ったままの息子がいる。
現実なのか・・・と思った時、体中の血が
サーっとひいていくような感じがした。
火葬の時間まで、家を出るまで、とにかく
息子の側にずっといたかった。
黒い服に着替えて、なるべく早く支度を
終わらせて、ずっと息子の側にいた。
最後のドライアイスを入れようと箱を開けると
息子は凍っていた。
顔は氷で真っ白になっていた。
体は凍って固まっていた。
私は指の熱で顔の氷を溶かしていった。
氷が溶けてかわいい顔が見えた。
眠っているだけのような顔。
着替え終わった夫が部屋に戻ってきた時、
私はもう我慢できずに「抱っこしたいよ」と
言った。
夫は「うん、いいよ、もう。抱っこしてあげな」
と言ってくれた。
私は凍った息子の体をそっと持ち上げた。
ドライアイスで凍って、しっかりと固まった
息子の体。
やっと抱くことができた。
大切に大切に抱きしめた。
この子は、私に抱っこさせてくれるために、
しっかりと固まってくれたんだなと思った。
最後の最後に息子は私に抱っこさせてくれた。
嬉しかった。
私の赤ちゃんが、息子が、私の腕の中にいる。
あたたかかった。
体は凍って冷たいはずなのに、
あたたかさしか感じなかった。
そして、夫が、私が妊娠してからずっと
1ヶ月ごとに撮り続けていたお腹の写真を
私が息子を抱っこする写真を撮って完成させた。
夫も息子を抱っこした。
ベランダに連れていって空を見せた。
とてもよく晴れていた。

夫は息子にたくさん本を読んでくれた。
時間がゆるす限り、息子に話しかけて
少しでも、長く 長く一緒にいたかった。

火葬場へ向かう。
車の中で、お腹の中にいた頃からよく聞いて
いた音楽を聞きながら、
何度も何度も「ありがとう」って
「大好きだよ」って言いながら
 行かないでって思いながら
「私達の所に来てくれて ありがとう」って
「私をママに選んでくれて ありがとう」って
「大好きだよ」って、繰り返し繰り返し
言いながら、箱を抱きしめた。
もっと、何かしてあげたかった
話しもしたかった
一緒にやりたかった事も、一緒に行きたかった
場所もいっぱいあるよ
お別れなんてしたくない
遠くへなんて行かせたくない
私何もしてあげられなかったよ


そしてとうとう着いてしまった
時間が来るまで、みんなで息子を見つめた
私は息子の頭をずっとずっとなでていた
絶対に絶対に、何もかも忘れないように
頭をなで、見つめつづけた
そして、息子のかわいい手にキスをした
パパも同じようにキスをした
それが最後だった
息子の体は、お空へかえっていった

短い時間だったけど、息子に会えた4日間を
決して忘れない。
息子と過ごした4日間を決して忘れない。
一生はとても長いけど、これほど貴重な時間は
もうないだろう。
一生はとても長いけど、息子がいないこれからは
もっと長く感じるだろう。


ママは毎日毎日、
君を思い出して、
さみしくて
悲しくて
泣いてばかりいる。
ごめんね。
弱くって。
君はこんなに強い子なのに。
ママがこんなんじゃ心配するよね。
とてもとても会いたいんだよ。
どうやったら会えるのかな?
もっともっと抱っこしたかった。
もっともっと一緒にいたかった。


どうか、この想いが君に届きますように
大好きだっていう気持ちが君に伝わりますように

  1. 2012/07/20(金) 21:14:46|
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20120609 み

6月9日 土曜日 退院の日。
朝からまた診察があった。
「予定通り、ご退院でいいと思います」と
言われた。
病室に看護師が退院の説明に来た。
次の診察の日にちや、薬の説明と、
息子の入った箱を包む大きな布はあるかとか、
息子を連れ帰る時にお見送りをするとか。
そして、10時頃、妹がドライアイスを持って
来てくれた。
ドライアイスが来た事を看護師に伝え、
息子を連れてきてもらう。
私は息子に「みいが来てくれたよ」と言った。
この時初めて妹は息子に会った。
妹は息子に「はじめましてだね」って優しく
言った。
こんなふうに、死んでしまった自分の甥に
会うのは辛いだろうなと思った。
そして私は、これから何人にも辛い思い
させてしまうんだなと思った。

持ってきてもらったドライアイスを夫と妹と
3人で箱の中に丁寧に入れていった。
明日の火葬の時間まで、息子の体が壊れないよう
に、冷やし続けないと。
体の下にドライアイスを敷こうと、昨日敷いて
おいたタオルごと体を持ち上げると、
もうタオルにまで血がにじんでいた。
箱の中がよく冷えるように入れ終わると、
大きな布で全体を包んだ。
夫が先に車の中をエアコンで冷やしながら
出口で待っている。
後ろのシートに息子を乗せる。
シートには、私が息子のために作っておいた
赤ちゃん用のお布団が敷いてあった。
お布団の上に息子が入った箱をそっと乗せて
息子の体が壊れないように箱をおさえた。
何人かの看護師さんに見送られて退院した。

私は箱を、大事に大事に抱きしめていた。

途中、夫の実家に寄った。
実家で、夫と息子2人だけで少しの時間を過ごし
車に戻ってきた。
そして家に着くとすぐ私達の部屋に息子を
連れていき、部屋をエアコンで思い切り冷やして
親子3人の時間を過ごしていった。

棺桶の中を、息子がさみしくないように、
私達の写真や、景色の写真、絵や手紙、
カラフルに飾りつけした。
箱を開けるたびに、この体が明日までもつように
壊れないように祈った。

夕方頃から、夫の両親や私の姉が息子に
会いにきた。
やっぱりとても悲しい思いをさせた。
目を閉じたままの、動かない息子に会わせる事が
辛くて辛くて、しかたなかった。
その時の事を思い出すのは本当に苦しい。
私のために、私達夫婦のために、私達親子のため
に、ずっと協力してくれて、ずっと助けてくれて
いた家族。
悲しませたくなかった。


その日は絶対、息子を一人にしなかった。
ずっとずっとできる限り側にいた。
箱の中を飾るたびに、誰かが会いに来るたびに、
そのたびに箱を開けて息子の姿を見るたびに、
かわいくて、愛しくて、愛しさが増えていった。

夜、またドライアイスを入れなおした。
明日まで体がもってほしいと願って。
はじめて親子3人で眠った。
明日、お別れする事を思うと
もう2度と会えない事を思うと
何度も何度も箱にしがみついて泣いた。
「こんなに冷やしてごめんね」って。
「きっと寒いよね、ごめんね」って。
「大好きだよ」って。
箱の中で眠る息子を想った。
隣にいるのに、抱っこしてあげられない。
抱っこしたいのに、抱っこできない。
これが現実の出来事なのか、もう何も
わからなくなっていた。
  1. 2012/07/18(水) 21:50:12|
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さむこりんさんへ

来てすぐ、
ウチの玄関で号泣してくれた
こりんさん、
優しい笑顔でJrに手を
合わせてくれた
サムさん、
2人の涙と笑顔が
どれほどありがたかった事か・・・。
今日は本当にありがとうございました。
20120716トシ             

今日は会いに来てくれてありがとう。
私達のために、私達の事を想って、
あんなに泣いてくれて、なんて心が優しいんだろ
悲しい思いをさせて、本当にごめんね。
でも本当にいつも、気持ち 伝わってきてたよ。
ありがとう。いつも、本当に想ってくれていて。
今日帰りに約束した事、私は必ず守るよ。
いつか必ず元気になるって。
きっと、元気になる方法が見つかるよね。
その日を待っていてくれると言ってくれて
嬉しかった。
今日は会えて本当に嬉しかったよ。
20120716み
  1. 2012/07/16(月) 23:19:20|
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20120608 み

6月8日 金曜日
朝から診察があった。
特に異常はなかった。
何も食べる気にはならなかったけど、
薬を飲まないといけなかったから少し食べた。
夜は泊まりで付き添いをしてくれている夫は
用事を済ませにいったん家に戻った。
長い長い一人の時間を私は、息子の事を想い
愛しい気持ちや会いたい気持ち、
抱っこしたいという願いやさみしさ、悲しさ
とめどなく考え続けていた。
何人もの看護師さんが時々私の様子を見に来た。
母親学級で指導してくれた助産師さんも来て、
話しをしてくれた。
「とんでもないってくらい大変だったでしょ」
と言って、「旦那さんは、どうだった?」と
聞いてきた。
自分が本当に辛い時、大変な時、相手はどう
するのか、そんな時、相手の本当の姿がわかる
と言った。
今までいろいろな例を見てきたと話してくれた。

私の夫は本当に強い人だった。

私が妊娠したばかりの頃夫は、「自分は血を見る
のがコワいから、出産の立会いは絶対ムリ」と
言っていたし、
最初の頃通っていた産婦人科は出産時の立会いは
出来ない事になってたからちょうどよかったし、
期待もしていなかった。
なのにこの人は、苦しむ私の側でずっと呼吸の
手助けをして、背中をさすり続け、励まし続けて
出産の一部始終を見ていた。
そして分娩が終わって2人きりになった時も
ずっと話しかけてくれていた。
「オレぜったい忘れないよ、今日の事全て
一生忘れない」と言った。
私は心の底から、この人で本当によかったと
思った。
この人とだからこそ、かけがえのない息子に
会えたんだ、こんな人が息子のお父さんで
本当によかったと思えた。
夫には本当に感謝している。
悲しさは私と同じはずなのに、
悲しさをこらえて、辛い役目を全て一人で
やってくれていた。
自分の子の死亡届けを出し、火葬の予約をして
明日息子が家に帰ってくるための準備を
してくれた。
この人がいなければ、私は本当に何も
出来なかったと思う。
ここまでやってこれたのも、みんな夫の
おかげだと思ってる。
きっと、息子にとっても偉大で自慢のパパ
なんじゃないかと思ってる。


夫が病院に戻ってきてくれて、夜また息子に
会わせてもらった。
明日、家に連れて帰る。
明日一日だけだけど、3人一緒に家で過ごす。
体をすごく冷やさないといけないから、
明日、連れて帰る時ドライアイスを体の下に
敷けるように、一度だけ息子の体を持ち上げて
素早くタオルを下に敷いた。そして、
壊れないようにそっと息子の体を箱に戻した。
動かない息子を見つめて、
眠っているだけのような顔を見つめて
体が壊れないように祈りながら、またすぐ
冷やしてもらうため、冷蔵庫へ戻って行った。

  1. 2012/07/16(月) 22:57:24|
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お菓子と綺麗な花

ちかちゃん、
そういえば、Jrの父親として
ちゃんと伝えていなかった事がありました。
「Jrに美味しいご飯を
何度もご馳走してくれて
ありがとうございます。」

これからも遊びにいきます!。

柏木家全員の思いが詰まった
「お菓子」
美味しかったです。
DSCN3737.jpg


自分が大好きな
ものがき&えかきの中村さん、
「綺麗な花」を
ありがとうございます。

いつの日か
「おばけプール」の話、
Jrにしたいと思います。
DSCN3726.jpg


20120715トシ


  1. 2012/07/15(日) 23:17:23|
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20120607PM み

1時間位分娩室で休んだ後、病室へ戻った。
看護師さんが点滴を外した。
点滴を外した腕から血が溢れて、ベッドと
術着と床が血まみれになった。
腕を止血すると、私は自分の服に着替えた。
膨らんでいたお腹はもう膨らんでいなかった。

看護師さんに、赤ちゃんに会わせてもらえる
ように頼んだ。
ついに、初めて赤ちゃんに会える時が来た。
赤ちゃん用の透明のベッドに乗って、病室に
運ばれてきた。
他の人にはわからないように、タオルで包まれて
入ってきた。
最初に看護師さんが、赤ちゃんの足形を押した
台紙をくれた。
出生の思い出に残せるものは、全て残して
もらえるように頼んであった。
足形は、とても小さくてかわいかった。
タオルを広げていく。
白い服を着ていた。
顔の部分に白い布がかかっていた。
布をとる前に看護師さんが
「赤ちゃん、とても、かわいいですよ」と言った
私は「本当ですか」とつぶやいて看護師さんを
見ると、目には涙が浮かんでいた。
布をめくり、初めて赤ちゃんの顔を見た。

「かわいい・・・」と言っていた。

本当にかわいかった。

しばらく静かに見つめていた。
看護師さんが、また後で来ますと言って
出ていった。
親子3人だけになった。
夫は、「世界一かわいいじゃないか」と言って
また泣いた。
顔を見つめていた。
眠っているだけのような顔を。
そして、こわれないようにそっと服を開けて、
私は息子の体を全て見ようとした。
小さいお腹が見えた。
胸や肩が見えて、男の子なんだな、パパに
そっくりだと思った。
細長い手足。
小さくてキレイでかわいい足。
手の平はにぎったまま開かなくて、見ることは
できなかったけど、指はとてもキレイだった。
とても立派だと思った。
ここまで立派に成長してくれていたんだと
嬉しく思った。

今まで一緒に生きてくれてありがとう

うまれてはじめて自分の子供に会えて
愛しさがこらえきれなかった。

ただ、息子の皮膚は
もう長い時間一緒にいられないと、
私達に教えていた。

ずっと側にいたいのに叶わなかった。
息子は冷蔵庫へ戻って行った。
夫は死亡診断書を持って市役所へ向かった。
病室に一人になった。

ここからだった。
苦しい時間が流れていく。
息子に初めて会えて、どれほど大切なものを
失ったか知って、
どうして?とか、どうすればよかったのか?
とか、答えにたどりつかない事ばかり考えていた
泣いても泣いても どうにもならなかった

しばらくして、3人の担当の先生が来た。
「赤ちゃんにお会いになりましたか?」と
聞いてきた。
「はい」とうなずいた。
先生は「赤ちゃん、小さかったですけどね・・・
とてもね・・かわいいね・・・・・」と言って
たぶん、私をなぐさめた。
わたしはただうなずいた。
かわいいから、悲しいんだって思った。
そして、
「通常、分娩した場合5日~6日は入院して
いただくんですが、どうしてもと言うなら明日
退院していただいてもいいんですが、できれば
あさってか、その次の日くらいまで経過を
見せてもらいたい」と言われた。
普通は分娩して次の日に退院なんてムリかな、
と思い「あさって退院でいいですか?」と言って
明日もう1日だけ病院にいることにした。

夫から電話があって、あさって9日土曜日に
退院することになったと伝えた。
夫は市役所で10日、日曜日に火葬の予約をして
その他のいろいろな事を手配してから病院に
戻ってきた。
きっと夫も、何かをしていないと、
気が狂ってしまいそうだったと思う。
あまりの悲しみに  あまりの出来事に・・・

夜、もう一度息子に会わせてもらった。
今度は青いダンボールでできた赤ちゃん用の
棺桶に入ってきた。
洋服の中はガーゼで包まれていて、もう2度と
体を見ることはできなかった。
かわいい顔をずっと見つめて、
白い帽子をかぶった頭をそっとなでて
かわいいキレイな指をそっとさわって、
愛しい気持ちがどんどん、どんどん膨らんだ。

今日という日が私にとって、
はじめて息子に会えた、世界で一番大切な日と
なった。

息子はまた冷蔵庫に戻って行って、
病室に夫と2人きり。
私はずっと息子を抱っこしたい、抱きしめたい
と願いながら、眠れない夜を過ごした。

  1. 2012/07/14(土) 20:05:40|
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20120607AM み

6月7日木曜日
明け方から何だか生理痛のような痛みが
時々していた。
私は痛み止めを使っていいので、痛いときは
いつでも言ってくださいと先生に言われていた。
あと2回、棒の入れ替えがあるし、まだまだ
先は長いから、痛み止めもらおうかな と、
思うくらい痛くなってたけど、
先生が一人来て「もうすぐ棒の入れ替えをする
から、痛み止めはその時に使いましょう」と
言った。
痛みに耐えながら朝食の時間が来て、痛くて何も
食べたくなかったけど、夫が一生懸命私を励まし
て、少しずつ少しずつ食べさせてくれた。
でも、ほとんど食べれなかった。
夫が看護師に状態を伝えると、時間はまだ
早かったけど、一度診察することになって
また車椅子に乗せられて診察台に上がった。
予定外の事だったので、その場で服は全部
脱がされ、術着を着せられた。
先生が棒を抜いていく。
私には、数も大きさもわからなかったけど、
はずした棒をトレイに入れていく音は
カンッ カンッ と、金属のような硬い音がした
棒を全部抜いて、子宮口がどの位開いたか
確認して、「2cm位開いた感じだな」と
先生がつぶやいていた。
そのあと、このお腹の痛みが陣痛かどうか
調べる機械を体につけられて、しばらく
台の上に寝かされていた。
その間も痛みに耐えながら、しばらくして
看護師さんが「陣痛がきてるね、陣痛室に移動
しましょう」と言った。
もうろうとしながら歩いて陣痛室に移動して
ベッドに横になった。
先生が来て言った。
「陣痛が来てるようなので、このまま促進剤は
使わずに出産しましょう。もし痛みがおさまって
しまったら予定通り促進剤を使いますが
もう棒は入れなくて大丈夫です」と言った。
よかった。本当ならあと2回あの痛みに
耐えなければならないはずだったけど、
奇跡的にうまく陣痛を起こさせてくれた。
どの位かかるかわからないけど
ここからは痛みとの戦い。

夫がとなりにずっと居て、私を励まし続けた。
陣痛室では夫と2人きり。時々看護師が
様子を見に来てた。
私は痛みを感じながらも、まだまだこんな
もんじゃないだろう、もっともっと痛くなる
はずだと思っていた。
私は痛みを感じるたびに、ベッドの左右
どちらかの手すりを強く握りしめて耐えた。
痛みが強くなるにつれて、私は意識がなくなる
瞬間が何度かあった。
その度に夫が引き戻してくれた。

夫が時々時間を教えてくれる。
9時半か、10時頃だったか、私はなぜか急に
「お昼頃、終わるな」って ふと思った。

そこからはもう、定期的な痛みの波とかじゃ
なくて、ずっと痛い。おさまらない。
痛みがおさまらないまま、痛みのピークが
何度もやってくる。
子宮口はどの位開いたんだろう?
7~8cm開かないといけないみたいだけど
一度もそれを確認してもらえなかった。
時々看護師さんが来るけど、私は痛いだけで
自分の状態がわからない。
でも特に何も診てもらえないので
きっとまだ、開いてないんだ と、思った。
母親学級で習った時も、出産経験のある友達から
聞いた話しでも、とにかく子宮口が10cm位
開いたら分娩室へ移動して出産だと言っていた。
ちゃんと開くのを待つしかない。
ちゃんと開いて、この子がちゃんと出れるように
したい・・・。

以前から先生には、この子の出産時、帝王切開は
しない方針だと言われていた。
酷な話しだけど、赤ちゃんの病気が、たとえ
生きて産まれてもすぐに死んでしまう例が多い
からだった。
数時間か、数日かで死んでしまうかもしれない
のに、母体のお腹を切ってまで出したくない
というのが病院の方針だった。
それならせめて私が赤ちゃんに負担の少ない
ように出してあげなくちゃと思い、必死で
勉強した。母親学級でも、陣痛の時は
赤ちゃんも痛いのか、苦しいのかって質問して
何とか無事に出してあげたい、そればかり
考えいた。
でももしも、別の病院なら、腹を切ってくれて
赤ちゃんがより安全に出てこれて、
わずかな時間でも生きられる可能性があるなら
と思い、それを相談しようとしたその日
赤ちゃんの心臓は止まってしまっていた。
悔しさと悲しさがこみ上げても
まだ信じられなかった。

もう動かなくても、ちゃんと出してあげたい。
この子が苦しくないようにしてあげたかった。
出てきたらもしかしたら 泣いてくれるかも
しれない・・・息をしてくれるかもしれない
先生の診断が間違っていたと言ってほしい
全部許してあげるから、どうか、
お願いだから、助けてください

私はずっと、受け入れられなかったんだ
ずっと一心同体で過ごしてきたこの子が
死んでしまったなんて

でも一方で、この子を早く出してあげたい
キレイな体のうちに早く出してあげたい
って思ってた。
信じたくなかったけど、わかっていたんだ。

もうどれだけ時間が経ったのか、痛みはとぎれる
事なく、私は声をあげ続けていた。
突然、体の中で何かが起こった。
とっさに叫んだ「何か 出ちゃう!!」
ついに看護師が子宮に指を入れた、その瞬間
破水した。
一気に全ての水分が飛び出した。
看護師が私の股を必死に押さえて
「どうしよう どうしよう」と言っている。
この時 夫は先生を呼びに行ったらしい。
看護師が「分娩室に移動しましょう、歩け
ますか?」と言ったと思う。
起き上がろうとした。 手すりをつかんだまま
激しい痛みがきてもう動けない。
看護師はまだ「どうしよう どうしよう」と
言っているようだった。
ナースコールや、緊急ベルのスイッチを
押したらしい。
いつの間にか、先生や看護師が
大勢ベッドの周りにいる。
左側に担当の先生が見えて、何か声をかけた
私は痛みで何もわからないまま、先生の腕を
ちぎれるほど掴んでいた。
そしてもう一人の担当の先生が
「痛みは必ずおさまりますからね」と言ったのが
聞こえた。
そうか  おさまるのか  と一瞬思ったけど
その一瞬だけで、あとはずっと
おさまらない痛みに叫び続けた。
私は運ばれた。
もう車椅子にも座れなかった。
車椅子を台車のようにして、何人もの人が
私を持ち上げながら移動したらしい。
私は まだだ  まだ 安全な場所へ行くまでは
出しちゃいけないって必死でこらえていた。

分娩台に乗せられた。
一人の先生が体制を整える。
もう一人の先生が右側にいて指示してる。
すぐに夫が左側に来て、私に何度も
息を吐くように言っていた。
もうこらえきれない
体中に力が入ると、右側にいた先生が
「いいよ、もう、力 入っちゃっていいよ」
と言った。
思い切り力が入った。
弾けるように皮膚が切れて
赤ちゃんが出てくるのを感じた。


何も聞こえない。
赤ちゃんはすぐに別の部屋へ連れていかれた。

私は息をするのがやっとだった。
もう何の力も入らない。
胎盤は、先生が出してくれたようだった。
超音波で確認をした。
左側で夫が私の手を握り、「もう痛くないよ
痛くないよ」と言っている声が聞こえた。
右側で先生が私の手を握り、「終わりましたよ
もう、終わりましたよ」と言った。
私は声も出ず。ただ手を握りかえした。
両手が酷くしびれていた。

分娩室に夫と2人きり。
本当なら、分娩が終わった後は1時間位一人で
このまま安静にしているらしいけど、
ずっと夫が側にいてくれた。
2人きりで。
この時、初めて夫が泣いた。
赤ちゃんに「ありがとう」って泣いた。
悲しくて、たまらなかった。
ずっと私を支え続けてきた夫が
赤ちゃんの病気を診断されてからも、ずっと
あきらめることなく、赤ちゃんが生きれる道を
探し続けた夫が、
赤ちゃんが出来たことをあんなに喜んでいた夫が
赤ちゃんが産まれてくることを
どれほど楽しみにしていたか、
全部 全部わかってた。

心の中で「ごめんね」と言った。
声には出さなかった。

そして、
赤ちゃんが本当にお昼頃出てきた事を
後で知った。

  1. 2012/07/12(木) 22:00:25|
  2. ブログで一番伝えたい事
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20120605~0606 み

6月5日火曜日、「非常に残念なんですが・・・」
と、胎児死亡と告げられた。

出口のない駐車場をぬけて
家に着いた。
夫が私の妹に事情を話す。
私は誰の顔も見れないまま部屋に入った。
夫は「何もしなくていいよ。入院のしたくも、全部
オレがやるから。 何もしなくていいよ」
と、言ってくれた。

私は何を考えていただろう。
覚えている事は、 ・・・先生はきっと間違えたんだ
心臓が動いてないなんて・・・
止まってしまったなんて・・・間違えたんだ・・・って
思っていただけ。

夜はいつもと同じように、お腹の中の赤ちゃんと一緒にお風呂に入った。
お腹は張りを繰り返している。
いつもと変わらず、  ここに居るのに・・・
呆然としていたら、静かに夜が終わって
6月6日水曜日の朝が来て、
でも誰も口をきかなくて、
昨日の事は夢じゃなかったんだなって 思った。

家を出る時、飼い猫に「行ってくるよ」と言って
妹に私が居ない間の面倒をたのみ病院へ向かった。
 
病院に着くとまず、身長・体重を測った。
体重は昨日の今日で昨日より1kg以上減っていた。

夕方から処置がはじまる。
分娩の仕方は、ついこの間母親学級で習ったばかりだった
陣痛がこなければ赤ちゃんは産めない、でも促進剤を
使って陣痛を起こす前に、人工的に子宮口を開かせる
処置が必要だった。
ラミナリアという海藻でできた棒を子宮口に入れて
時間が経つと海藻が膨らんできて
子宮口が広がる仕組みらしい。
処置台に上がると、カーテンをめくり2人の先生が
挨拶してきた「私達も担当させてもらいます」と。
今回の件では、私には3人の先生がついていた。
処置が始まる。
怖かった。
どんな事されるか不安だったし、予想はしてたけど
やっぱり痛かった。
痛みには、別の痛みで紛らわせるしかない。
私は腕を思い切り噛んで痛みに耐えた。
カーテン越し、先生達の声が聞こえた。
「もう1本かな・・・」
え?もう1本て、そんな何本も入れてるの?
見えない恐怖と痛みでついに声を出してしまった。
先生達が順々に私を励まし続けた。
「もう少しですよ」「もう少しで終わりますからね」って。

歩けないというよりも、体を動かすのも辛い状態になって
車椅子で病室に戻ると、夫が待っていた。

明日の朝、この棒の入れ替えをして子宮口が充分開かなかったら
夕方もう一度入れ替えすると言われた。

もうイヤだ・・・

あと2回も  こんな・・・イヤだよ・・・

でももし途中で棒が抜けてしまったら、その時はすぐ
入れ替えると言われ、
せめて抜けないでほしいと、自分が動かないように
なるべくじっとしてた。
夕飯もほとんど喉を通らず、
夜じゅうずっと、まだ見ぬ子供の事を考えていた。
  1. 2012/07/11(水) 22:49:01|
  2. ブログで一番伝えたい事
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今日家に帰ったら、

今日家に帰ったら、
僕の親友より
果物と手紙が届いていました。
今日は
「ありがとう」
だけを伝えたいです。

Jr・・・
友達はいいね。

きっと人は、
大事を成しても、
そうじゃなくても、
何かした事を友達に聞いてもらうために
生きてるよね。

20120710トシ

DSCN3723.jpg


  1. 2012/07/11(水) 00:08:05|
  2. ありがとうをここに・・・
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Jrの記録

Jrの記録

性別 男
体重 1060g
身長 35.5cm
頭囲 26.0cm
胸囲 21.5cm

誕生日 2012年6月7日
天使日 2012年6月7日

ベルメール夫妻



  1. 2012/07/09(月) 22:50:46|
  2. 妊娠日記
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少しずつ

七夕の朝、
5月から家の手伝いに来てくれていた
みいさん(ベルメールさんの妹)が
千葉の「彦星」のもとへ
帰っていきました。
「自分の全ての時間を費やして、
妻と僕を支えてくれた、みいさん」
感謝の言葉がつきません。
本当にありがとうございました。

午後からは、
僕だけですが、
ベルメールさんの教えているダンスチーム
スマイルズのレッスンに
久しぶりに参加しました。
ベルメールさんがお休みしている間は、
マッキーが先生をしてくれています。
久しぶりに会った
スマイルズのみんなは、
いつもと変わらず
元気にダンスしてました。
レッスンの様子をビデオに撮って、
家に帰ってから
ベルメールさんに見せました。
ベルメールさん、笑ってました。
やっぱりスマイルズは、
ベルメールさんの
「笑顔の素」です。

少しずつですが、
いつもの日常に戻りつつあります。

これからも
少しずつ、少しずつ、
進んでいけますように。

20120707トシ


  1. 2012/07/07(土) 23:40:38|
  2. ベル夫の巣
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沢山の愛

ベルメールさんに
沢山の愛をありがとうございます。


洋子さん、
ベルメールさんの体の事
すごく心配していただき
ありがとうございます。
洋子さんのおかげで、
ベルメールさん、
しっかり食べてます!!。
「心の声」しっかり届いてます。
DSCN3720.jpg


柏木ファミリーのみなさん、
クッキーありがとうございます。
せっかく来てくれたのに、
何もお構いできずごめんなさい。
今度はゆっくり、
「ベルメールさんのピザ」
食べにきてください。
クッキーすごく美味しかったです。
DSCN3715.jpg


道倉さん、
あなたがこの家の担当で
本当によかったです。
道倉さんには、
「気持ちで仕事する大切さ」を
改めて教えていただきました。
メロン「楽しく」いただきました。
すごく美味しかったです。
手紙、すごく嬉しかったです。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
DSCN3712.jpg


邦さん富士子さん、
お花ありがとうございました。
Jrもすごく喜んでいます。
また邦さんに
エアコンとアンテナの事、
相談させていただきます。
頼ってばかりでごめんなさい。
DSCN3719.jpg


海人、海人ママ
お土産ありがとうございます。
海人ママの涙と言葉に、
僕は救われました。
そして海人、
海人のダンスが
ベルメールさんの笑顔の素だからね。
これからも元気なダンス
よろしく頼むよ。
DSCN3721.jpg





  1. 2012/07/07(土) 22:30:52|
  2. ありがとうをここに・・・
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「7月4日」

7月4日 今日は出産予定日だった。
妊娠をしてから何度もこの日を想像してきた。
自分が出産する日の事、初めて赤ちゃんに会えた時
どんな気持ちだろうとか・・・
毎日がどんなに長くても、いつか必ずやってくる
この日をいつも想像していた。
 
想像とは大きく変わってしまったこの日だけれど
今日、この日で、この件に関する病院での診察は
終わった。

4月に入ってすぐ、この大きな病院に移され
赤ちゃんの病気を診断されてからは、
私達の生活や気持ちや命にたいしての想い、
いろんな事が変わっていったけど、
私達は希望を見つけ、希望を信じて、
希望ばかりを持って進んでいた。
6月のはじめの診察で、赤ちゃんの心臓が止まっていると
告げられた時、その後に赤ちゃんをお腹から出す処置に
ついての説明はほとんど覚えていない。
先生の言葉は聞こえていても頭に入ってこなかった。
明日から入院して赤ちゃんを出す
それだけはわかっていた。
その日の帰り、大きな病院の駐車場は
降りても降りても出口にたどりつかなかった気がしてた。


赤ちゃんがお腹から出てきてもう1ヶ月経とうとしている。
悲しみの気持ちは、どうあっても消える事はない。
それが当たり前だと思う。
すごく大切なものを失ってしまったんだから。
日々いろいろな事を考えてはいるけれど、
私はずっと気になっていた事、でもコワくて聞けずにいた事を
今日先生に聞いた。

赤ちゃんがお腹の中で死んでしまった時、
苦しい思いをしたのかどうかを

先生は言ってくれた
「赤ちゃんにとって、お母さんのお腹の中は一番心地よくて
安全な場所、決してもがき苦しんで死んでしまったような事は
ないですよ」
その言葉は救いだった。
誰のせいでもないとわかっていても、やっぱり自分を
責めて過ごしているから。
たくさんの人が心配や励ましの言葉をくれて
みんな 赤ちゃんはママのお腹の中できっと幸せだったよ
と、言ってくれていた。
でも私には、 そうだろうか?苦しい思いしたんじゃないか?
辛かったんじゃないか?って不安ばかりで
この子がそんなに苦しい思いをして死んでしまったとしたら
私はどうしたらいいんだろうとばかり思っていたから。

死なせてしまったのだけれど、せめて苦しい思いをしないで
すんだのなら・・・それだけはよかったって思えるから。

この子はここで心地よく生きてくれていたと信じたい。
決して辛い思いをさせて死なせてしまったのではないと
信じたい。

今日この日に、この救いの言葉を聞けてよかった。
そして、息子をとりあげて下さった先生にお礼が言えて
よかった。
20120704 み

  1. 2012/07/05(木) 21:17:41|
  2. ブログで一番伝えたい事
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7月4日

今日はもう1つ・・・

本日をもって
妻ベルメールさんの
診察は終了となりました。

今日まで
本当によく頑張ってくれました。
これからもゆっくり、
私たちのペースで
歩んでいきたいです。

そして・・・

思えば
7月4日は出産予定日。

Jr・・・
本当にお前は
「そういうニクいところ」
があるよね。

20120704トシ





  1. 2012/07/04(水) 23:03:07|
  2. 妊娠日記
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20120610 トシ

20120610
朝がきました。

妻が
「抱っこしたいよ」
と泣きながら言いました。
抱っこは2人ともあきらめていたのですが
Jrに触ると、
体の全てが一晩の冷気で固くなっていました。
それはまるで

『お母さんに抱っこしてもらうため』

のようでした。
出発の時間までずっと、Jrを抱っこする事ができました。

斎場に向かいました。
ドライアイスを相談した日、平安葬祭の人に
36週まで生きたJrですが、
18トリソミーという事もあり、体は小さいため、
「大人用の炉では骨が残らないかもしれない」
と言われました。
ですが

『お母さんに育ててもらったこの体、伊達じゃないぞ』

と、
Jrはしっかり「証」を残してくれました。

斎場からの帰り、
実家に向かう途中、
信号待ちをしていると、
白い蝶が、ずっと車の周りを
舞っていました。

『あっ、Jrだ(^^)』

2人とも
すぐわかりました。

お寺さんでは、
お葬式という形でありませんでしたが、
お経をあげていただきました。
住職は私たちの事を自分の事のように思ってくださり、
泣いてくれました。
そして

『気の済むまで一緒にいてあげなさい』

と言ってくれました。
自分はこれが本当の
「送るべき姿」だと思いました。


あまりの悲しみの大きさに潰されそうになっていましたが、
Jrがくれた

『奇跡』

に、
支えられた1日でした。



ちなみに・・・
この日から
ベルメールさんは、
毎日、
家の周りで踊っている
『白い蝶』を
見ているそうです(^^)。。
  1. 2012/07/04(水) 22:04:46|
  2. ブログで一番伝えたい事
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20120609 最期の夜 トシ

最期の夜です。

ベルメールさんがJrに御守りをつくってくれました。

Jrの可愛い手に

お母さんの御守りをかけました。

母の御守り

日付が変わるころ

Jrの箱に最後のドライアイスを入れました。

Jrはところどころ凍っていましたが、

この時も抱っこできる状態ではありませんでした。

川の字になって3人で寝ました。

一晩だけでしたが、

「自分の夢」は叶いました。

家族の手


  1. 2012/07/03(火) 21:40:37|
  2. ブログで一番伝えたい事
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20120609 トシ

退院の日です。

朝から雨が降り、
昨日より気温はグッと下がっていました。
それはまるで、
「天がJrの体を冷やしてくれている」
かのようでした。

7:30
朝食の時間です。
最後まで味気ない病院食かと思っていましたが、

「病院が母さんに何もしてくれないなら、僕がするまでさ」
DSCN3638.jpg
Jrからの粋な計らいを受け取りました。

10:30
みいさんがドライアイスをもって
病室に来てくれました。

病室でJrの箱にドライアイスを入れました。

自分は一足先に、車を地下の霊安室前に廻しました。

専用のエレベーターから妻とJr、
みいさんと数人の看護師さんが出てきました。
妻とJrを愛車の後部座席に乗せ、
病院をでました。

車内で妻は
Jrの入った箱を抱きしめて
ずっと泣いていました。

自分は涙をこらえて、
あれが山だよ、あれが海だよ、あれが川だよ、
とJrに教えながら運転しました。

途中、自分の実家によりました。
Jrと2人で自分の部屋に行き、
男だけの会話をしました。

12:00
家につきました。
家の玄関前は
自分の親が花を植えかえしてくれていて
とても綺麗でした。

2人の部屋にJrを寝かしました。

3人で昼食を食べました。

自分は写真を印刷しはじめました。
ベルメールさんとの写真、
2人が旅した写真、
自分の親が日本中で撮ってきた花の写真、
みいさんがアフリカで撮ってきた景色の写真、
Jrが見えるように
箱の内側に貼っていきました。
「Jr世界中の写真だよ、これだけの景色を見れる人、なかなかいないよ」
コンパクトフラッシュ 021
コンパクトフラッシュ 016
コンパクトフラッシュ 001
コンパクトフラッシュ 002

箱には写真の他にも、
服や絵や手紙、
想いを込めたものを入れ、
綺麗に飾りつけしました。

親やお義姉さん妹がきました。
部屋に人が集まった時エアコンをつけました。
Jrを紹介しました。
みんな涙を流しながら、
悲しい気持ち、悔しい気持ち、辛い気持ち、
優しい気持ちの詰まった、

「よく頑張ったね!」

という声をJrにをかけてくれました。

みんなが帰える時、
自分とベルメールさんは言いました。

「ちゃんと手を洗って下さいね」

普通は赤ちゃんを触る前に手を洗ってもらうものですが、
Jrの場合は後に洗ってもらいました。
この言葉の辛さを知る人は少ないと思います。

この辛さは誰にも知って欲しくないですし、
二度と感じたくないです。

  1. 2012/07/01(日) 23:18:24|
  2. ブログで一番伝えたい事
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プロフィール

ベル夫

Author:ベル夫
ベルメール夫妻です。
ブレイクダンス好き。
エスニック好き。
ワンピース好き。
どうでしょう藩士、
(姉が・・・)。

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